永泉寺山門風景

  
  
ひたすら反省
ひたすら祈る、ひたすら坐る  ひたすら耕す  広がれ、伝われ、あんたの笑顔
 

ひたすら反省

今日、サラリーマン時代の先輩訃報が届いた。
ご子息と思われるお名前で薬石効なく1月15日にご逝去されたとのこと
生前中大変お世話になり感謝している旨の内容であったが
実際は
がお世話になった。
そういえば今年はその
先輩からの賀状が届いてないことに気付いた。
迂闊にも年明け他のことに気を取られ賀状のチェックが済ましてない。
大失態だ。
この
先輩は入社当時の上司で、
商品知識から販売のノウハウ、市場動向の分析は言うに及ばず
目的を達成するために徹夜も厭わないと言う
当時猛烈社員と呼ばれたサラリーマンの気風を学んだ。
終電に間に合わない時はなんの疑問も持たず
先輩のお宅にお邪魔した。
まだ新婚ホヤホヤの
奥様の手料理を遠慮することなくたいらげ
ビールをがぶがぶのんだ。
数年後その
先輩は本社勤務となり一緒に仕事をすることはなかったが
本社にかっての上司がいるというだけでとても心強かった。
「お前の仕事振りは
先輩と同じだな」と言われる事がうれしくて
追いつくことだけが目標の毎日であった。
何年かのち
先輩は今で言うヘッドハンティングで他社に
引き抜かれていったがいつか私にも
先輩から声が掛かるのでないかと
ひたすら仕事に熱中していた。
こうしているうち
の立場も序々に社内で認められすっかり先輩のことは
忘れていたがある年の賀状に私と同じ海外での仕事に付いていることが書かれていた。 

同じ外国で同じような仕事をしているかと思うと
懐かしさとひょっとして
先輩にやっと追いつけたのではないかと言う感慨にふけった。 

その国で一緒に飲む機会があったが、
でも、やはりこの
先輩には適わないなと思うことが多く教えられることがたくさんあった。
しばらくして
がその国の担当から他の国に替わり
直接お会いすることはなっかたがいつかまた飛行場でばったり会えるのではないかと
常にきょろきょろその
先輩を探した。
いつしか賀状だけのお付き合いになっていたがサラリーマン時代の
大恩人であり
忘れたことはなかった。
その
先輩訃報だ。
ご家族の悲しみも思いやられたが
ごく身近な人とのお別れはこの時になって初めてこうしておけば
「あの時にああしておけば」と悔やむことばかりが浮かんでひたすら悔しい。

「会者定離」「定離不定」と解かったような説教を普段よくするが
説教する
本人が頭で解かっていても実際には何一つ解かってなっかたことを
思い知らされた。
やはり最期まで
先輩には適わなかった。
先輩はご自身のかけがえのない命をもって私に
「この世で出会うことができた私たちにはいつか必ず別れがおとずれる」
と言うことを身をもってしめされた。
またその別れはいつ来るか誰にも解からず私たちにとってはたまたま今日であっただけ。

「だから鷲見君。今日の仕事は今日済ますの。じゃあな」
軽く手をあげ、昔そうであったように少しうつむき加減ににこにこしながら
だけどとても早足で歩いて行かれた。

「会者定離」「定離不定」「愛別離苦」の話はもう2度としない。
先輩とのお別れに臨み言葉に言い表せないほどの感謝の気持ちを表し
心よりご冥福を祈りたい。
 

ひたすら祈る、ひたすら坐る

永泉寺が貧乏寺である事は充分認識していながら住職になった。
力いっぱい鐘をたたき、大声で朝夕のお経を唱えていれば
お檀家さんは増えるだろうと幻想をいだいていた。
本堂や庭や墓地をいつもきれいにしておけば、自然にお寺は
お詣りの人達であふれかえるだろうと思っていた。
特別な歴史もない、これといった有名な人がまつられているわけでもない、
見るべき庭もない、お檀家も少ないと、ないないづくしのお寺は、

和尚さんとなって、何ヶ月もたたずして、現実の厳しさを

感じさせた。一日数円のお賽銭では、お寺は白ありのえさとなり
朽ち果ててしまう。夢どころじゃない。どうにかしなきゃ。サラリーマン時代
衰退してゆく店や商店街をいやという程見てきた和尚にとってその
どまん中にいながら、何にもできない現実にもんもんとしていた。
こんな時、丹波篠山の山奥でがんばっている和尚の友人に
勇気づけられた。丹波の小寺・長和寺の田中秀範和尚さんも
私と同じ、中高年になってからの脱サラおっさんである。ただ違うのは
この和尚さんは迷わないことだ。坐禅ざんまいの毎日だ。
早朝の暁天坐禅はいうに及ばず、時間をみつけては坐禅だ。
月のうち何日かは、早朝より夜9時までの坐りっぱなしの日を何年も
つづけている。
「坐禅で飯が食えるか」と問う私に答えはいつも同じ、
「ひたすら坐禅する坊主を見て、お檀家さまは、自分のお寺のおっさんも
あんなにがんばっているのだからと何か感じとってくれる日が
来る。そう思ってくれた時のお檀家さんの数の多少は問題に
ならない」この言葉に道が見えた。「ひとの幸せのために祈ろう」これを
続けている限り、御本尊さまも永泉寺を見捨てないだろう。
グラグラしながら、ヨロヨロしながら、長和寺の和尚さんを思い出し
ながら、お陰さまでまだ、住職をさせていただいている。


美しくなりたい人、やせたい人、超能力を身につけたい人、長和寺を
たずねてみて下さい。のぞみ通りにはいかないかも知れませんが
本物のなにかを得られるかも知れません。

長和寺 篠山市曽地中1801  住職 田中秀範
(079)556−3290


追記 おっさんはとても早口で良く聞き取れないといけませんので
(参禅の折は自分のお茶菓子持参の事)
 

ひたすら耕す

ホリエモンの出馬で一躍全国区の感さえある広島第6区の
山間地の龍華寺をおとずれるのは、朝詣りのキツネの親子様、
夜まいりのおたぬきさまの御一行、何日かに一度の郵便配達員だけだそうである。
この寺を守る秀道和尚さんは、私と同世代だ。
長い間のサラリーマン生活を経て、年をとってから僧堂で一緒に
苦労をした仲であり、貧乏寺の住職である事など
共通することも多く、忌憚(きたん)のない間柄のお坊さんである。
秀道和尚さんは、龍華寺に着任以来、すでに60本の
桜の苗を植え、あじさいを挿し木して、年々ふやしつづけ、
お寺の裏山にどうだんツツジを育てている。
どの季節でも花や美しい木々につつまれた
かわいいお寺づくりをめざし、がんばっている。
こんな和尚さんのこの夏の話。
平成17年8月下旬、広島県の山間地、K郡K町の村の墓地にてS和尚さんが納骨供養を始めた頃から
急に涼しい強い風が。やがてあたりが暗くなり、
ポツ!ポツ!と雨。「これはヤバイ」「衣が濡れたら
大変じゃけー」ましてやカミナリにうたれでもしたら。
 お経も回向もどんどんはしょり、納骨供養を早々に終了。
 一同が車に駆け込むと同時にどしゃ降りの雨。
「やれやれ、良かったなー」
地響きのような雷鳴と閃光、バシッドーンの恐怖に
おののきながら、やっとの思いで自坊に。
あとで考えると、あれが最後の落雷か。今までとは比較にならない
程の、大爆裂音とパーシー。
目の前の本堂にかみなりさんが落ちた!

家族は皆無事。火災も起こらずホッ!とするが、電気製品が
すべて使えなくなり、その補修やら買い替えで思わぬ出費。
それもこれも手抜き供養と、その後ふりかかった雷さんの
怒りが結びついているように感じ、お気の毒さまといわれる
たびに何とも後ろめたかったと、反省しきりである。
雷さんが鳴りはじめても、お経をはしょらず、手抜きせずちゃんと
供養しちょけば、雨もかみなりさんも避けていってくれよっちゃ
だろうにとボヤくことボヤくこと。
よく似た経験を和尚もしている。
 思わず人にやさしくできた時、結果を求めず人に
つくせた時、ひとの為にした事なのに自分を幸せな
気分にしてくれる事がある。
逆に、ひとを憎んだり、うらんだり、人を悪く思ったりした時
ひとに対して思った事なのに、自分自身がとてもいやな
気分になったりする事がある。
良い思いも悪い思いも行動も、姿をかえて自分自身に
かえってくる。
佛様はどんな時も必ず我々を見ていられる気がする。
 

広がれ、伝われ、あんたの笑顔

つづいてのお年忌の準備をしながら、
楽しいこと考えてみた。3億円の宝くじが大当り。
楽しいこと想像してみた。遠く南の島の夏休み。
楽しいこと思い出してみた。志ん生の「らくだ」
「どれもちいちゃいな」て苦笑しながら「ニンマリ」
「なによ」って云いながら、私の「ニンマリ」をみて
カレンダー朝から「忙し!」「忙し!」の奥様が
ほほえんだ。今日はじめてみる奥様の笑顔だ。
つられて私も「にっこり」ほっとする。
そうだ、今日みんなで読んだお経にも
笑顔について説かれている。
エッ!お経にそんなことが
書かれていましたっけって人は驚くけど。
佛様のおしえは、そんなこむずかしい
ことばかりではない。
広がれ、伝われ、あんたの笑顔
あんたの笑顔は必ずひとを幸せにする。
 
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若いころ画家を目指したその方の視力は
日増しに悪化されたとのこと
やがて 数ヶ月でほとんど視力を無くされた。
目の前のものを 識別することはできなかったが
2度目の お見舞い客は
ほとんどを言い当てたという。

人の能力はすごいものだと言って
努めて 明るく振舞ってみえたらしい。
ただ見舞い客の心の変化には敏感で
涙ぐまれた客が帰られたあとは
その見舞い客の涙は見えなかったはずなのに
ただじっと窓の外をながく見つめられていたそうである。

 入院当初 こんなに主人が我が儘で 甘えん坊だとは知らなかった
奥様はこぼされていたが 病状が悪化し
さらに視力をなくされてからは 感謝の言葉と
いたわりの言葉だけの毎日だったそうだ
やがて 口数もすくなくなった。


「もう一度絵が描きたいな」この言葉に家族全員がこたえた
車の手配 画材の手配 お弁当の手配と
昔と同じように準備はすすめられた。
ただ違っていたのは誰の心の中にも
これが最期になるのではないかとの
思いがあったという。
まだ夏の名残を残す10月の初めの日曜日
その計画は立てられたが ご主人の容態は悪くなるばかりで
ついに実現することはなっかた。

その朝
めずらしく少し調子がよかったのだろう
ご主人の呼ばれるまま顔を近つけると

「母さんの顔もういちど描いておきたかったな」
やさしく髪や鼻やあごに手を添えられながら話されたという。

「やですよ」と思わず頬すりされると
あったかな 涙がこんなに熱いものかと思われるほどの熱い涙を流されながら

「母さんはむかしのまま。。。。。。
 見えなくても見える。。。
 描かなくてもいいか  ここに残っているから。。。」

この人がこんなこと言ってくれるなんて
この人で心底よかった。
死んじゃやだよって
 思わずさけばれたという。

その夜

「これが虫の知らせって言うんでしょうね
 たくさんのお見舞いの人たちに囲まれて
 主人は旅立ちました
 いい笑顔でしたよ その日の主人は」


たしかに 奥様が描かれているその小さな作品は
作者の思いがやさしく でもはっきりと描かれている。
和尚もこの絵を拝見するたび

いつも思いが伝わる絵を描きたいと思う。
このご主人のように人に優しくありたいと願う。


例年、11月上旬より御年賀欠礼の便りが届けられる。
急ぎ裏面の
差出人を確認し、「エッ」と驚いたり、自分の
としを考え、
しかたないかと思ったりする。失礼があった
知人には、急ぎ電話を掛けお悔みを申し上げたり
するが、大体は正月の松がとれてから寒中お見
舞いを兼ねて、弔意を表わすこととしている。
この
差出人の場合、添書きに「和尚さんのお地蔵さま
の賀状を主人と二人毎年楽しみにしておりました。主人は
この夏突然に先立ち、和尚さまから賀状を
いただくご縁は直接にはなくなりましたが、主人との楽しい
思い出ですのでこれから先も賀状いただけましたら幸いです」
とあった。
仲良くおしょうの賀状をごらんになる
御二人の姿が思い
うかび、残された
奥様の悲しみがより一層しのばれ、
思わず欠礼の葉書に
故人の冥福を祈った。
でもこれはヤバイ!お地蔵さまの図柄に手づまりで
今年は
エトの絵に変えてしまった。自分ではソコソコかなと思っていたが、
次からはこの差出人の為にも
お地蔵さま
の年賀状作りに再挑戦することを誓う。
毎年の正月には
ホトケも必ず戻って来い。そして
奥様と並んで和尚の賀状を見てほしい。
誰か一人でも和尚の
をみて喜んでいただけるなら、
和尚は必ず書きたいと思う。


お二人の為に書く!


暮れにおっさん手描きのカレンダーを皆様に配る。
「うれしい!」「ありがたい!」
「このカレンダー毎年楽しみにしてるんですよ!!」

この言葉にはげまされ、暮れの忙しい時に一枚ずつかいている。
よろこびを分かちあい、かなしみを荷ないあえる こんなやさしい一年をすごせたらベスト。 「え!そんな遠くから。」
わざわざカレンダーの為に
おこしいただく方もあり、ヘタな絵、へタな字を
自覚しているおっさんは、とても恐縮してしまう。
6月末、このカレンダーをどこかでごらんになった女性より
残っていればわけて欲しいとの電話。
「今頃、今年のカレンダーを?」少し話を伺う。
ガンの手術の為入院される友人に差し上げたいとの事。
かえって病気が悪くなっちゃうのじゃないのって思ったが、
病室に飾るのであれば、カレンダーよりもう少し小さなものを
描いて差し上げると約束。
約束はしたものの、ガンと闘う友人の為にそんな責任重大な
ことをお受けするなんて、絵も文字も四苦八苦。
やっとでき上がったものをこっそり御本尊様前に供え、
悲しい時もうれしい時も私の人生。一回きりの人生だからほんの少しがんばってみる。 御加護を祈念し、お渡しする。
 苦労はしたが
喜んで受けとってくれた依頼主と、
元気づけられている友人

みえると思うと、一番幸せなのは、和尚の私かもしれない。
友人が元気になれたら、それは御本尊大日如来さまのおかげ。
描く事は御本尊様が和尚に課した修業
(=心より他人の幸せを祈る)と信じ、御依頼主に感謝。
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